アフリカとの出会い42

 「不幸なバレンタインデ ー /叔父さんがいなくなった!」
   

ガスパレイ・ミグイ・キルス(竹田悦子・訳)  アフリカンコネクション
 
 バレンタインデーとは、愛する人が健康でそばにいることを感謝する日であり、愛されている喜びを感じる日です。幸せな、希望があふれる日です。今年のその日が来るまでは、私にとってもバレンタインは、そういう日でした。

 その日、私たちの家族は悲しみに包まれました。私たち家族にとって最もつらい思いの日になりました。私が愛し、尊敬してやまない叔父の行方が分らなくなったのです。その日から既に2ヶ月近くが経ちましたが、彼の行方を知る人は居ません。行政機関、警察等による努力も空しく、叔父さんについて誰からも情報はなく叔父さんがどうなったかを示すものは何もありません。ケニアで誰かが何の痕跡も残さずに行方不明になることは難しいことです。誘拐もそんなに頻繁に起こることではありません。もし誘拐なら、一週間以内に身代金の要求があるのが普通です。しかし叔父さんはもう2ヶ月近く行方不明なのです。電源の切れた携帯では、GPS機能も役に立ちません。私たち家族は、最悪のケースを考えるようになりました。

 叔父さんのことを話してみます。叔父さんの職業は、ペンキ職人で石工です。地元の工事現場や個人から仕事を受注して生計を立てていました。奥さん(私の叔母)は、家事と4人の子供を育てている専業主婦です。叔父さんが行方不明になったことで家族が更に困った状態に置かれることになったのは、その失踪の時期です。長男は、今年の4月から新大学生。長女は、去年の11月に高校を卒業し、今年から短期大学に入学予定。次女は小学校を卒業し、お父さんの行方が分らなくなった次の日の2月15日に(日本でいうところの)中学校へ入学しました。一番下の次男は小学生です。

 家族が一番お父さんを頼りにし最も教育費が必要な時期なのです。専業主婦である叔母さんが、女手一つで家族を支えていくのはとても大変です。私は神様に尋ねました。「どうして今なのですか?」と。でも神様はその答えをくれません。仕事を得るのさえも困難で、社会に蔓延している貧困にも屈せず叔父さんは、これまでずっと家族を支えてきました。彼は様々な苦労を一つずつ克服しながら、家族を勇気づけ支えて来ましたし、人に助けを求めることもありませんでした。こつこつと仕事をし、子供たちにきちんとした教育を受けさせることを自分の目標と考えていました。家族が皆で協力し、暖かく幸せな生活を送っていました。私が叔父さんと会うときはいつも叔父さんの助言に耳を傾け、夢や人生の目標を話し合い、話し合ったことを心に刻んできました。彼から学ぶことは沢山ありました。私の今があるのも叔父さんの貴重な助言があったからです。

 叔父さんの失踪はこのようにしておこりました。

 2月14日の日曜日、家族はいつものように目覚めました。そしていつものように教会のミサに参加しました。ミサの後、教会の委員をしている叔父さんは教会に残りました。そして午後1時頃、昼食を取るために家に帰ってきました。昼食を済ませた2時頃、叔父さんは、次女が明日から高校へ入学するというので、その準備の為、家族が住んでいる村の中心・オザヤタウンと呼ばれるところへ買い物に出掛けたのです。叔父さんはそこであるお客さんからお金を受け取り、それを娘の学費にする予定でした。

 ケニアの高校は4年制で、生徒は親元を離れ学生寮に入ることが多いのです。1学期は3ヶ月間あり、1学期が終わるごとに1ヶ月間の休みに入り家に戻ります。ですから、初めて高校に通いだす娘の為に、寝具・制服などを揃えなくてはいけませんし、諸々の学用品を買い揃えなければなりません。お金を受け取ってそれらの買物に行こうとしていたのです。叔父さんが居なくなる前日の2月13日も家族は、そのような買い物に家族で出かけていました。

 3時頃、オザヤタウンでそのお客さんと会い、お金を予定通り受け取った叔父さんは、叔母さんに電話をしています。これが夫婦の最後の会話になってしまいました。

 3時半頃に叔父さんは靴の修理屋で目撃されたのを最後に行方が分からなくなりました。オザヤタウンは叔父さんの家からたった15分しか離れていない、誰もが叔父さんのことを知っているところなのです。

 夜7時になっても帰らない夫を心配して、叔母さんは彼に電話をかけました。携帯電話の電源は切れていました。それから親戚や警察にも連絡をしました。それが、地域を巻き込んでの必死の捜索の始まりです。茂み、川、病院、警察などあらゆるところを捜索しましたが見つかることなくその後2ヶ月間、家族を深い悲しみと苦痛に陥れました。

 お酒好きでも、喫煙者でも、他に女性がいるわけでも、犯罪を犯したこともない彼が、誰もが彼を知っている地元の小さな町でいなくなるのでしょうか?家族は悲しみに沈み、どこで何が起こったのか誰も理解できません。行方を知る手掛かりも情報も何一つないのです。

 今私たちが一番心配する事は、突然父親が居なくなってしまった子供たちのことです。家族が一番お父さんを必要としている最も教育費が必要な時期なのです。叔父さんの夢は、4人の子供たちそれぞれにきちんとした教育を受けさせることでした。残された私たちにできることは、叔父さんの夢を叶え、子供たちに教育の機会を与えてあげることです。貧困の中にあって、突然起こってしまった叔父さんの失踪に対してどのようにしていけばいいのでしょうか?

 叔父さんの子供達と話す機会がありました。私は彼らを励まし、「お父さんが望んでいたことは何だったか?」を考えるように言いました。子供達は決意を新たにし、お父さんをがっかりさせないようにすることがお父さんへの一番の贈り物であると信じるようにしました。

 みなさん、どうか子供達の夢を叶えさせて下さい。叔父さんの子供達は一生懸命努力することを厭わない子供達です。ケニアの将来を担う子供たちです。叔父さんは、子供達が皆さんに支えられて夢を叶える事が出来たなら、深く感謝し、どんなにか喜ぶことでしょう。彼が手塩にかけて育てて来た子供達の夢が叶えられるように力を貸して欲しいと願っています。



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